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執筆者の写真グリーンモールハウジング事務局

祖父の想い出 遺品アルバムから vol.2

更新日:10月20日

前回公開させて頂いた祖父のパイロット時代大正~昭和初期のアルバムから熊本城を機上から撮影した画像等が有りましたので公開させて頂きます。


機上から撮影した大正、昭和初期の沖縄、石垣島、台湾の飛行場、香港市内、鹿児島市内、雲仙、横浜等の航空写真画像等が残されています。


今回は飛行機だけでなく、亡き祖父、軍艦出雲や海軍航空隊仲間たちや上官等当時の人物画像を始め当時のエピソードや霞ヶ浦海軍航空隊官舎画像。帝国海軍がイタリア軍の訪日機パイロットのデピネート中佐を囲む集合写真 画像に小松中将と山本大佐と記載が有るが後に海軍元帥となる山本五十六氏かも知れませんね。


乗艦していた空母鳳翔や退艦時の集合写真。その他英国、米国の初期の航空母艦写真。


昭和10年から1年かけて軍艦出雲に乗艦し練習艦隊として世界1周した際に寄港したニューヨークマンハッタンの観光案内図や見学工程表及びニューヨーク滞在中のエピソードが綴られた出雲新聞。 出雲新聞は読める方はすごく面白い記事が記載してある様に感じます。

当時の世界情勢まで。


例えばインド寄港時に食べたカレーは強烈に辛かった。エジプトのピラミッド・スフィンクス観光等。


あと当時の海軍士官向け砲術試験用紙?も残されています。


何れも100年以上昔の資料です。 ガリ版刷りで軍艦出雲艦内で独自に発行された出雲新聞は私では読めない記事が多く、判読出来たら当時の様々な様子が判る資料ではないでしょうか。


残念ながら 虫食い?や経年劣化で判読不明カ所も増えています。


先週荒尾市から熊本市へ行った際に通った 熊本城沿いの道路は今と変わらないような気がします。現在、建替え計画が進行中の熊本市役所辺りに大きな建物が建っています。

現在は道沿いにビルが立ち 並んでいますが、大正時代は空き地も多くのんびりした様子が伺えます。


熊本城内に建物が散見されますが、熊本城には軍が駐留していたそうだから軍関係の施設かも知れませんね。



祖父の若かりしパイロット時代の画像1



祖父の若かりしパイロット時代の画像 2 飛行機の前でプロペラを手に



祖父の若かりし時代の画像3 制服が違うので多分前列二人は上官と思われる。



祖父の若かりしパイロット時代の画像4

前から2列目は上の画像の上官二人とひげをくわえた方は更に上官でしょうか。



祖父の若かりしパイロット時代の画像5 大正16年度 海軍大演習参加 と有り



三年十二月五日 全年兵 一全 ? (空母 鳳翔 退艦の際)記載有り 昭和三年か?



乗艦していた大日本帝国海軍 航空母艦 鳳翔 と記載有り



米国航空母艦 ラングレー 米国航空母艦 レキシントン 記載有り


何故 米国や英国の空母や軍艦の空撮画像が有るのかは不明です。

飛行機の運用には空母が必要な為、世界中で空母が開発され増えたのかも知れません。


英国航空母艦 イーグル 英国航空母艦 アーガス



米国航空母艦 サラトガ 記載有り


祖父のアルバムの中には創世記の航空機画像だけでなく、英国や米国の航空母艦 画像も多数含まれています。空撮です。





イタリアからの 訪日機 操縦士デピネート中佐を歓迎した際の画像

霞ヶ浦海軍航空隊 校長 小松中将、山本大佐、原中佐、松永少佐、加藤大尉と記載有り

山本大佐と記されている人物は後に帝国海軍元帥 山本五十六氏でしょうか?

幼少時の私に縁側で祖父からは山本五十六氏といくつかのエピソードを聞かされていました。接触が有ったのでしょう。航空機飛行操作技術をお披露目しようとアクロバット飛行を行い山本五十六氏から叱られた事は良く聞きました。(笑)




水上機ですね。 アルゼンチンからの訪日機との記載有り




よく見ると、多数の隊員が菊の紋章に整列しています。




昭和4年9月18日 午前7時半 長崎県男女群島 洋上訓練に出発した攻撃機3機が暴風雨に遭い 不時着水した。その後25時間洋上を漂流し駆逐艦 菊月に無事救助された。と 有り



以下は 前回の大正10年から11年にかけて軍艦出雲・八雲にて練習艦隊で世界1周時にアメリカのニューヨークへ寄港時の観光案内図 ルートも分単位で決められている。



ニューヨーク観光時の今でいう街のガイド本ですか。

訪問予定時間やルートが細かく決められています。


コチラも観光案内スケジュールです。 今も残存する建物が有りそうです。 100年以上前の

帝国海軍が作成したニューヨーク観光ガイドです。



ニューヨーク滞在時の出雲新聞記事

  軍医長が三井物産のニューヨーク支店に出向いた。とあり。ヒンデンブルグ号が…とも。

軍艦出雲での世界1周練習航海時の発行された 出雲新聞には寄港先の当時の体験談だけで無く、社会情勢、付いては世界情勢まで細かく記載あり。洋上においても日々無線等で様々な情報を得ていたと考えられる。


細かく読み込めば当時の様々な状況が解ると想います。 当方では読めない箇所もあり

                   

                                          勿論 TVやスマホも無い 100年以上前のご先祖様たちスゴイですね。





こちらはニューヨーク寄港後 大西洋上で出題された 第49期 海軍少尉候補生 砲術試験問題(第1回)と記載有り


100年以上昔 当時のものです。亡き祖父が大事に保管しており良く残っていました。



試験問題その2 大正十年十月二十五日 大西洋上 出雲砲術長との記載有り






大きなタイヤが付いた2葉飛行機 形状からプロペラは操縦席後方に有り 水上機?

画像に記載ありますが、写真をスマホで撮影しているので記載の文字が判読不能です。



海外製の空中旅客機 ドルニエーワールと記載有り



霞ヶ浦 航空班と記載有り 機体が7機とけん引誘導車でしょうか?



霞ヶ浦海軍航空隊の兵舎



霞ヶ浦 水上機班 記載有り



霞ヶ浦海軍航空隊 の正門 正門の左側は衛兵の待機小屋でしょうか


世界早廻機 大正16年9月 ライト230馬力 と記載有り


祖父は横須賀、長崎、羽田等海軍の主だった基地や国産航空機開発機関を転勤していたそうですが、大正時代 霞ヶ浦航空隊時代の画像が残されています。


第2次世界大戦開戦前には既に退役していた祖父ですが、海軍関係の国産飛行機の開発資料は処分していたのかもれません。 機密事項でしょうから自宅に有る訳も無いですね。


母の記憶では祖父は故郷の熊本県城南町 (現在の熊本市南区城南町)から海軍の車で熊本市の健軍飛行場迄通勤していたそうです。そばの城南町にも飛行場が有ったと聞いています。



テストパイロットとして命懸けの危険な任務をこなす祖父を、祖母や幼い母は毎日無事に

帰宅することを祈り続け、祖母はついには祖父をテストパイロットから安全な地上勤務に

移動させることに成功。


だれより空を飛ぶことが好きだった祖父は意気消沈し海軍を退役、その後三菱重工?等で

国産飛行機開発に携わりつつ開戦前に退職し、故郷の熊本県城南町に戻ったそうです。


酒が好きだった祖父はお酒が入ると幼少期の私に祖母に飛行機から引きずり降ろされた。

亡くなったテストパイロット仲間に申し訳がない。と話す日々。


そんな姿を祖母は縁側から 何も言わずに祖父と私を見つめ笑っていました。

祖父より気丈な祖母だから私がいなくなった後で祖父は祖母から怒られていただろう。(笑)


祖父の想い出 その2



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